舞台「魍魎の匣」を観た

表題の通り。舞台「魍魎の匣」を観た。京極堂が、久保が、榎木津が、関口が、そこに生きていた。

実を言うと私はあまりこの手の舞台化やドラマ化をあまり観てこなかった。文章の中で紡ぎ出された世界を現実の世界に引きずり出すと、なんだか違うな、ってなるからだ。

もちろん今回もそうならなかったわけじゃない。私の想像した登場人物の姿と役者さんの姿は一致しないし、物理的にあの舞台の上に作り出しようのないものだってある。けれど、冒頭の通り、登場人物たちの温度を感じられる舞台でなんだかぞおっとした。作り物だか現実だかよく分からなくて、なんとも言えないそんな気持ちになった(作り物だけどね!)

魍魎の匣」はすごく恐ろしくて、けれど魅惑的で、そして見てはいけないなにかを覗き見てしまう感じがして、ページを捲る手がとまらない、そんな小説だ。そしてとても重い(物理的に)。筋肉トレーニングに使えそうなくらい重い。その(重さに耐えつつ)ページをめくった時のドキドキぞわぞわする感じを舞台を観ながら思い出した。もちろん物理的時間的制約で全てが全て描き出せるわけではないが、まあとにかくそんな感じだった。

やっぱり舞台はいいなあ、そんなことを思った1日であった。しかしAiiA Theatreのこけら落とし魍魎の匣とはこれいかに。あの箱に魍魎が住み着いてはしまわないだろうか。